「カザルスへの思慕」

   佐藤 良雄

懐かしい世田谷区弦巻のご自宅にて
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「すべての事、すべての活動や企画において、もし、その根底に善良さがなかったなら、何事も達成されない。」
       ・・カザルスの言葉

長らくお待たせしました。旧仮名遣いなどが多くリライトをあきらめ、ブロードバンドも普及してきましたし、画像にてお見せすることにしました。 1枚が100K位のJPEG画像です。

2003/3/19 画像にて掲載開始中(佐藤先生没後1年祭に戴いたものを原稿にしました)

表紙

本文「カザルスの許にて」 10111213

本文「プラード便り」 

本文「ギリシャ氏のラジオ」 ・3・4・5


おまけ 佐藤先生のお話「音楽夜話・カザルスの歌」より(MP3 6MB)(1976/10/23 NHK FM)


「カザルスへの思慕」内容見本
 【ディスク2月号 1952年】
「カザルスの許にて・・在プラード(1951)」

 名前について・・・さて、何から書いて良いのか途方に暮れますが、先ずおたずねのカザルスの名のことから始めましょう。間違ってはいけないと思って先日カザルスに直接聞いてみましたから、これほど確かなことはありません。
カザルスはカザールスと書いても良く、ザにアクセントがあってほんの少し長くする。だからカザルスとカザールスの中間くらいであって、要するにザをちょっぴり強く、延ばせばいいのです。カサルスでなくてカザルスです。
 最後のSは発音しますから、フランス人が言うように、カザールではありません。次ぎにパブロ(パにアクセント)は一般スペイン語であって、パウ(ポーではありません)というのはカタロニヤ語でパブロのことをパウと呼ぶのです。(カザルスはカタロニヤ人)。だからパブロ(エスパニョル)でもパウ(カタラン)でもお好きなように呼んで下さい。
 それからちょっとお断りしますが、カザルスは恩師です。カザルス、カザルスと呼び捨てにするようですが、どうもこれはあまり偉い人には敬称を省くものらしいです。ナポレオン氏、ベートーヴェンさんでは、どこの人かと思います。それで以下昔ながらのカザルスと呼ぶことにします。こちらでは我々生徒や町の人はmaltre(先生)と呼んでいます。

 プラード・・・次ぎにプラードという町はあまり小さい町で、一体全体地球のどの辺の端くれにあるんだい、とお思いになるでしょうからそれから書いてみます。
 パリ、オーステリッツ駅より、スペイン、バルセロナ行きの夜行に乗り込むと翌朝、南仏スペイン国境に近く葡萄酒の産地として有名なペルピニアンに着きます。この間926Kmを12時間40分で走るから、日本の汽車よりだいぶ早いです。海岸(地中海)よりほど遠からぬ風光明媚なところで、今年春カザルスがベートーヴェン祭をやってコロムビアのロングプレイにソナタやトリオを吹き込んだ所。そのペルピニアンです。そこで乗り換えて今度はチッポケな玩具鉄道で、ピレネーの山を目指して西方する事カッキリ1時間、そこがプラードです。
 すぐ眼前に、ピレネー山中のカニグーという山が峨々としてそびえ立ち、頂上の方は既に真っ白です。信州の町だと思えば当たらずとも遠からず。山の空気爽やかで、冬のパリは殆ど曇天ですが、ここは連日快晴で、光線強く晴れ晴れとしています。小さい町で人口わずか4000、田舎の人はとても親切にしてくれますが、カタロニア人が多くて多少知っていた筈のフランス語が通じないことがあって閉口します。いまに九州弁か秋田弁のフランス語を覚えて帰ります・・・。
 さて、駅前の通りを横切ると国道に出ますから、それを左の方に行きますと、家が両側に並んでいて段々にぎやかになり、これがメインストリートです。ホテル(但しこの町にただ1つ)からキャフェ、パン屋、本屋、靴屋、食料品屋、床屋、雑貨店、とにかく一応店らしいのが並んでますが、あっと言う間に過ぎてしまいます。委細かまわずに行きますと、もうそろそろ町も終わろうとする左側。立派な石造り、鉄格子の門があって、どんな大きな家があるのかと思って入っていくと、案に相違。まことに小ジンマリした2階建ての白亜の一軒家がちょこんと建っているので、境内は広いし他に主家でもと見渡しても、何も見あたりません。
 ハテ、サテ、そこがカザルスの家なのです。

 対面して・・・小生は11月11日朝10時半頃着きましたが、楽器と荷物を持ったまま、そこへ飛び込んだのです。通知を出してありましたので、すぐソレと分かったか、出てきた女中が何も言わずに2階へ通しました。
 そこに!!折からカザルスは手紙を書いていました。子供のかぶるような灰色の毛糸で編んだ編み目の帽子をかぶって!しかしそれは後で気がついたので、その瞬間にはカザルスの顔以外に何も目に入りませんでした。
 呆然と入口に立っている小生を見るや、「オー」と言って立ち上がり「良く来た、良く来た」と言いながら固い握手をしてくれました。
 小生、ついに感極まって、溢れ落ちる涙をどうすることもできませんでした!!
思っても見て下さい。青木さん。20数年来、否、30年にも近い月日を!毎日待っていたのです!!
 想えば長い間でした。 ・・・・・・・・・・・・


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