山中湖大図鑑   ぶらぶらマップ 


山中湖文学の森

外観


徳富蘇峰写真

 ■徳富蘇峰(とくとみそほう)館

 ■開館時間:10:00〜16:30
 休館日:毎週月曜日と
 12/29〜12/31、1/6〜1/13
  ただし、GWと夏休みは開館。
 入館料:大人¥300
   高・大学生¥200
   小・中学生¥100

 PHONE:0555-20-2633
  FAX:0555-20-2634

 近代日本史を語る上で欠くことの出来ない蘇峰の著述・揮毫・遺品・写真等を展示している。新聞人・そして評論家として激動を生きた95年の生涯が今ここに蘇る。

 プロフィール:徳富蘇峰は文久3年(1863)1月25日、熊本県に生まれた。明治・大正・昭和の時代の証言者として、新聞人として、95年の生涯を閉じるまで執筆活動を続けた。幼少の頃から私塾で漢学を学び、熊本洋学校から恩師新島襄の同志社へと進んだ。明治15年(20歳)に大江義塾を開き、4年後に塾を閉鎖、一家をあげて上京し、翌年に民友社を創立した。明治20年に「国民之友」、23年に「国民新聞」を創刊。平民主義を掲げて藩閥政治を非難し、明治中期における指導的役割を果たした。明治28ねん、日清講和条約直後の露・仏・独の三国干渉による遼東半島還付を目のあたりにした蘇峰は国家的屈辱をそそぐために、一転して国家主義を標榜し、政府擁護の立場をとったため、明治38年国民新聞社は暴徒による2度の焼き討ちに遭遇した。大正7年(56歳)、政治と絶縁した蘇峰は、「近世日本国民史」の著述をライフワークとし、全100巻を完成させた。

 蘇峰と山中湖:山中湖をこよなく愛した徳富蘇峰は、昭和7年以来、毎夏を湖畔の山荘「双宜荘」で過ごした。「近世日本国民史」の執筆の合間に、湖畔一帯を散策し、村人との交流を楽しんだ。又、蘇峰は「旭日丘」や「報湖祭」の命名をしており、山中湖との関係はきわめて深い。



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アプローチ
駐車場からのアプローチ

玄関
玄関

エントランスホール
ロビーには情報検索コーナーもある。

山中湖文学の森 マップ


 蘇峰館の周囲には木立を縫って散歩道があり、山中湖とゆかりのある文人や俳人の句碑などが15基建立され、文学の香り漂う小径となっている。

散歩マップ
一周30分ほどの散策路。
散策路

 未だ道路は切り開いたばかりだが、野の花が自然のままに保たれていて、今後の節度ある整備が楽しみ。(1998/7/29)

 〒401-0502 山梨県山中湖村平野506-296



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